北前船の事業や漁業で大成功し裕福な暮らしをしていた初代・矢野恒次郎は、明治39年ごろ34歳にして眼病を患った。発病して1年程経ってついに失明。息子を助けようと著名な医者や効能のある神社を巡って奔走していた養母の夢枕に、「天理教宣教所」の看板が現われた。神のお告げと思い、宣教所を探し回ったところ、自宅近くに当時設立間もない「天理教鹿子宣教所」を発見する。
恒次郎は毎日のように参拝に通い、ひと月程で奇跡の開眼。これをきっかけに熱心に信仰をはじめた。再び多角経営者として事業に力を注いでいたが、5年ほど経過した頃に再び失明してしまった。今度は腹膜炎などの病にも苦しみ、身も心も倒してしまう。
そんな時、指導的立場にあった人から、熱烈な説得をうけて、人救けの道を歩む決心をした。その後、ほどなくして再度の開眼となった。2度に渡る奇跡に感激し、覚悟を決めた恒次郎は、事業をたたみ、病気や様々な事情で苦しむ人をたすける新たな人生のスタートを切った。
人救けを始めて約20年後の大正15年、射水分教会の前身である、射水宣教所設立。初代所長に就任。それ以後、4代にわたって信仰は受け継がれ、令和8年、2026年には教会設立100年を迎える。